「在り方」など、自分自身で決めるべき事であり、私ごときがとやかく言う事ではないが、私自身の考え方を書き留めたい。難聴を抱える人生において、今でも悩むことになる重大なテーマがある。それは「難聴の事を積極的に理解してもらうべきか?」という事である。というのも、普通に生活を営んで行く中で、新しい環境――子供の頃ならクラス替え、進級、転校、新しい部活、などなど――大人になれば、就職、異動、転職、サークル活動、合コン、などなど――最後のは余計かも知れないが、新しい出会いというものはいつになっても起こる事である。そうなると、今まで何となく難聴の事をわかってくれていた人々は去り、全く知らない人とゼロから理解し合わなければならない…といった状況になる。そんな中、自身の障がい、難聴を「あえて説明する」必要があるかどうか?
私は今でも悩む。悩んではいるが、結果的に自身の障害を一度も説明した事がない。某企業でwebデザイナーなるかっこつけた仕事をさせてもらっているが、同室の同僚も、もしかしたら難聴である事を気付いていないだろう。発声に訛りはあるものの、全く普通だからである。前もって説明する必要性が感じられないのだ。もちろん、仕事に影響を及ぼすようなレベルであればそれは事前の説明が必要になってくるだろう。だが、説明が必要=言わなくも相手が気づいてくれるとも言える。私の場合、不便な面はたくさんあるが、何とかごまかせるのである。だから説明する必要が無くなってくる。「補聴器とは」の項目で説明したように、補聴器を通して聞こえる世界は随分と不便であるけれど、ごまかし方さえ覚えてしまえばどうにでもなる。それだけの技量が必要となるが、背中に汗をかくだけで済むならば、私はいくらでもごまかすだろう。ただし、障がいを徹底して隠しているワケではない事は付け加えておこう。相手が気づけば気付いたで、それは一向に構わないのだ。私のヘアースタイルは短く、ロングヘアーで耳をすっぽり隠しているわけでもないので、真横から見れば一目瞭然、補聴器が丸見えなのだから、気付かないほうがおかしい。
蛇足であるが、相手が気付いた瞬間というのはなぜか手に取るようにわかるから面白い。あ、今気付いたねこの人…今頃かいな。などと楽しんだりもする。
話を戻そう。
自身の「障がいを告白する勇気」というのは正直言って私には無い。幼少の頃から私自身の難聴を知ったとたんに相手がうろたえる、あからさまに余所余所しくなる、などの様々な反応を見てきているからである。障がい者に対する世間の認識とは、恐らく「異物」なのだろう。テレビでしか見た事のない障がい者が突然、予告も無しに現れたら、それはもうどう反応したら良いのか、どう話したら良いのか、全くわからない事であろう。それが正常な反応だと思う。そして決まって「可哀そう」「気の毒だ」「努力してるんだな」などと特別な感情を持つ事だろう。だが、そんな感情は私にとってはとてつもなく不快である。そもそも、障がい者である事を理解した後の反応自体全てが不快である。私自身の人間性を全く無視し「障がい者」とのレッテルを張り付け、それありきの判断しかしてくれないからである。
もちろん、中には全く態度が変化しない人も居るが、そういう人たちとは仲良くなりやすく、親友とも呼べる深い関係を築いている人もいる。中には、「おまえ耳悪いんだからちゃんと聞いてろよー」とかずばり言う友達もいた。ひどい友人だと思う人も居るかもしれないが、私にとっては素晴らしく嬉しい扱いであった。彼にとって私の耳はタブーではなく、日常的な物だと、受け入れてくれたのだと、そう感じたのだ。
障がい者が求めるものは「理解」であって「支援」では無い。その事を誤解している人は多数居る。私は何も手話通訳して欲しいとも、大声でしゃべって欲しいとも思っていない。ましてや同情もされたくない。そうされると「障がい者のレッテル」を貼られたようで何とも居心地が悪くなるのだ。本当に障がい者なのだから、レッテルも何もないのだが…。そういった気持ちを持っている障がい者はかなり多いと思う。「障がい者であるのは事実だが、あからさまに障がい者扱いされたくない」と。
社会の中で、難聴者である自分を恥じる事なく、かつ、対等に扱ってもらう為には、相当な努力を強いられる。時には難聴によるコミュニケーション不足で重大なミスを犯し、相当落ち込む事もある。だが、それは耳のせいでは無いと、私はそのように考え行動している。そう考える事により、自分自身を改善して行く事になるのだ。耳のせいにしたら「仕方ないよな…」で終わってしまうのだから、その時点で進歩はあり得ない。
難聴は一つの個性なんだと、その様に考え、それを補う「何か」を見出して行くのが私自身の生涯の課題でもある。そのように建設的に考えればきっと難聴はハンデでも無くなり、むしろ武器となるだろう。