当ページは大変失礼かつ不快な内容が含まれています。
あくまでも私個人が体験した感想である事を
ご留意の上で閲覧いただければ幸いです。
最初にお断りしておきたいのだが――ある意味、これは暴露話になる。悪口とも言える。非常に申し訳ないのだが、ここではろう(聾)の世界の影を書き留めたい。下記を読む事により、聴覚障害者が抱える影の部分をどうかご理解頂きたい。そして、難聴者とろう者が区別される理由を感じ取って欲しい。
まだ20代の頃だが、頻繁に手話サークルに通い、ろう者との交流にあけくれ、手話の習得に没頭している頃があった。そういった経験を元に話すのだが、ろうの世界とは随分と閉塞的であると思う。ろう者同士で集まり、遊びに行き、健聴者が近づいて来ると、手話がわからないのを良い事に陰口をたたいたりする。
初対面の人間を相手に、ろう者は「あなたはろう?それとも健聴?難聴?」などと必ず質問する。そして会話のふしぶしにも「彼は難聴だからね」とか「健聴だからなー」などといったフレーズがよく出現する。これはただの「差別意識」に他ならない。あまり認めたくない事だが、ろう者は差別意識が強いのだ。その為、集団で行動する傾向があり、健聴者と積極的に溶け込もうとしない。とにかく排他的な傾向が見られたのだ。
ろう者同士でくっついているという事は、健聴者の助けを必要としない、自分達でコミュニティーを作れば自分達だけで生活していける!といった考えを持つ事になる。言わば、海外でよく聞く移民の問題と同じである。現地に溶け込もうとせず、同じ出身の者同士で共同生活を営む――それがろう者のイメージだ。それなのに、健聴者はろう者の事をまったく理解してくれない!と口をそろえる。いや、手をそろえる。ろう者への理解を広めよう!と頑張っているのはむしろボランティアとして参加している健聴者のほうである。ボランティアのイベントがあり、その場で手話を広める活動をしよう!といった話になれば、当然手話サークルの健聴者はこぞって参加するが、当人達はというと――「面倒だ」と言ってほとんど参加しない。それはそうである、自分達で固まって助け合い楽しんでいるから、健聴者など要らないのだ。
そういった傾向になってしまう背景には様々な要因があると思う。まずは障害年金の問題。定期的に支給される年金に甘えているのではないか。知り合ったろう者がたまたまそうなのかも知れないが、年金でパチンコ三昧の若者が多かった。仕事は長続きせず、いつも無職。健聴者を敵視し、固まって排他的。一種のギャング集団にしか見えなかった。そして、普通に働いていた私に金を貸してくれと頭を下げにくる。年金の支給によって、障害者自身の自立が困難になっているのではないか。支給される金額は非常に少ないのだが、それでも年金だけで最低限の生活は可能なのだ。仕事を辞めても生活は出来る――などと考え、社会には積極的に参加しようとしなくなっているのでは。
そして次に、周囲の健聴者による保護。当時はちょっとした手話ブームであり、菅野美穂主演の「君の手がささいている」や豊川悦司の「愛していると言ってくれ」などのテレビドラマにより、ろう者がクローズアップされていた頃だ。手話を勉強したい!という健常者が急激に増大し、様々な手話サークルが乱立し、ろう者がちやほやされて居た。そして、豊川悦司のようなかっこいいろう者をイメージしたミーハーな若い女性達が手話サークルにやってくると、こぞってろう者はサークルに顔を出し積極的に声を掛けるなどしていた。そう、ろう者がモテる時代でもあった。ろう者を見るととりあえず照れたようにヘラヘラ笑ってしまう人、腫れものに触るように過保護にする人――そんな人たちばかりが手話サークルに集まって居たのだ。厳しく彼らを叱りつける人など皆無、野放図の状態であった。さぞ、何らかのアイデンティティーを獲得した事であろう彼らは、自分の立場を過大評価し始めたと思う。悪い言い方をすれば、その頃の若いろう者はどんどん「ずうずうしく」なっていったのだ。「健聴者なんか俺らには何の関係もない!要らない!」といった本音を良く聞いたものだ。
これから手話を覚え、ろう者の世界を理解してみたいと思う方は、まず第一に「彼らを美化しない」事を念頭に置いて欲しい。全く同じ人間であり、下心も満載だ。聴覚障害者は「本ばかり読んでいて知的なイメージ」と勘違いしている人も多いのだが、声の聞こえないろう者は日本語が覚えられず、本すら読めなくなる。それを初めて知り、ショックを受ける人は多い。そして悪い人も居る。ヤクザも居る。もちろん優しい人がほとんどだが、それだけでは無い事を肝に銘じて欲しい。
以上、相当な悪口になってしまったが、青春の時を過ごした「ろうの世界」に対する私の正直な感想である。自然と足は遠のき、今は彼らとは無縁の生活を送っている。それで良かったと思っている。私は難聴で同じ聴覚障害者であるが、育った環境が彼らとはあまりにもかけ離れ過ぎていて、到底容認出来るような世界では無かったのだ。