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投稿日時:2016.08.31 16:33

あなたは "難聴" という言葉にどのようなイメージを持っているでしょうか?

「耳が聞こえにくい」
「年寄り」
「大きい声で話してあげる」

この様なイメージを持つ人がほとんどでしょうか。ある程度の年齢層ともなると、志村けんがコントで演じていた「耳の遠いおばあちゃん」を思い浮かべる人も多いと思います。「あぁ?あんだってぇ?」と大きな声で耳に手をあて首をかしげるおばあちゃん。非常にコミカルで面白く、ゲラゲラ笑いながら見ていた方も多いのではないでしょうか。

その志村けんのおばあちゃんですが、不思議な事があることに気付いたでしょうか?
志村けんが演じたこのおばあちゃんの事をコミカルで面白いと思ったとしても、ほとんどの人は「障害者」とは思わなかったのではないでしょうか。

なぜでしょうか?

人は年を重ねるごとに身体的な機能がどんどん衰えていきます。筋力が低下する、関節が固くなる、視力が弱くなる、滑舌が悪くなる、耳が遠くなる、など様々な症状が現れます。そして、これらの症状が現れるのは「年を重ねれば当たり前の事」だという認識が皆さんの中にあるからでしょう。老齢による聴力の低下は自然現象であり、障害ではない。といった考え方でしょうか。おばあちゃんの耳が遠いことは決して珍しい事ではなく、テレビでそれを再現したとしても違和感はなく、むしろ志村けんにより、それを一つのお笑いのコンテンツとして昇華させることが出来た、といったことだと思います。

では、10代の女性が「え?なんですか?」と頻繁に聞き返していたらどう思うでしょうか?「あぁ?あんだってぇ?」とは言いません(笑)。きっと違和感を感じる方が多いのではないでしょうか。身体的に健全であって然るべき10代の女性が、耳を傾げ一生懸命に相手の声を聞こうとするけれど、聞きとれずに「え?え?」と何度も聞き返す。そして耳には補聴器をしている。志村けんがもしこの女性に扮し、テレビでコントをやったらどうなるでしょうか?セーラー服を着た志村けんが「えぇ?なんだって?」と叫びます。想像したらやっぱり面白いですね(笑)。さすが志村けんです。でも、これは志村けんの才能であって、普通は笑えないでしょう。それよりも「障害者を笑いものにしてる!」と善良な市民からクレームが殺到するでしょうか。

同じ、耳が聞こえない人を扱っているのに、一方は当たり前であるのに対して、もう一方はタブーになってしまう。
それは「10代の女性は健全でなければならず、決して耳が遠い事はない」といった既成概念があるからです。そして、その既成概念から外れた行為を見るとそこに違和感を覚えてしまうのです。

このことからも世間一般の感覚では、難聴者に限らず障害者全般に対して言えることですが、その存在は「当たり前の存在ではない」のでしょう。表を堂々と歩く存在ではなく、タブーとして裏通りを歩かせ、腫物に触るかのごとき慎重に扱わなければならない、その様な非常にデリケートな、面倒な存在なのでしょう。

なぜ、この様な社会になってしまったのでしょうか。その理由の一端は障害者自身によるものだと私は考えています。生活が困難となるケースが多い障害者は、障害のある部位を積極的に世間に説明し、どのような「介助、介護」が必要かを公然とアピールしなければならないからです。そのため、世間において「障害者は助けが必要な弱者」というネガティブなイメージを持たれてしまいます。ネガティブなイメージは即ち、扱いづらいのです。そして、理由のもう一端はマスメディアによるものでしょう。障害者は世間に一定数存在しており、町中で時々見かける事はあるのに、私たちが普段目にしているテレビ番組や映画などにはほとんど登場しません。クライマックスで二人がキスをするシーン、その背後に車いすの男性が横切る、町中で繰り広げられる銃撃戦の中、腕のない女性が逃げ惑う、などの事はほとんど起こりません。前述の通り、障害者は腫物であり「わざわざ登場させる理由がない」のです。登場させると、そこに何らかの意図があるのかと誤解されかねないからです。

この様に障害者という言葉には様々なイメージが定着しており、その存在自体が特殊な物として人々の目に映っています。

ですが、障害者は決して特殊なものではありません。ありふれた存在で、そこに居て当たり前の存在です。

クライマックスにキスしている女性は、耳が聞こえず、男性との会話も手話です。銃撃戦のシーンで犯人は麻痺を抱え手足が不自由ですが、献身的な仲間に支えられながら銃を乱射しています。でも、映画内ではそのことに一切触れず、何の意図もありません。それは当たり前のことであり、どうでもいいことだからです。志村けんが麻痺の人をコミカルに演じ、側溝に落ちて爆笑をさらう、その様な笑いがあってもどこからもクレームが来ません。タブーではないからです。

私たちは難聴という障害を抱えておりますが、決して腫物ではありません。タブーでもありません。志村けんが演じるおばあちゃんの様な当たり前の存在になりたいのです。

そのためにはどうすれば良いのでしょうか?

まず、ネガティブなイメージを払拭すること。

このサイトは、難聴をどう表現すれば良いのか、それを考えるサイトです。

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